2023.02.10

51期 上善水如 ~創業期の必死さ~

弊社は2月12日(日)に、ついに創立50周年を迎えます。
皆様に支えられ、50周年を迎えることができましたことに深く感謝申し上げます。

今回は前回に続いて、創業時のお話をさせていただきます。私が生まれる前の話なので30周年記念誌や関係者の方から伺ったお話です。

弊社の創立日は昭和48(1973)年2月12日です。創業者である田部井功社長(以下 創業社長)は2月11日の建国記念日に会社を設立しようと考えていたようですが、2月11日が祝日で役所の手続き上の関係で2月12日が登記上の会社設立日となりました。

設立時に不動産販売会社時代の上司にあたり、同営業所で営業トップを常に競っていた「男澤八重氏(初代専務)」に相談をして発起人になってもらったことをきっかけに、1年後、男澤八重氏が毎日興業に入社したそうです。

会社を無事に設立したものの、前職の会社から同僚3名を引き連れて会社を設立することとなったため、創業当初から3名の従業員を雇わなければならず大変な創業期だったようです。

最初は、当時の大宮市浅間町(南小学校北側・旧上海楼跡地※ご縁あって今は駐車場として借りています)にあった“えびすストア”という商店の一角を借りて事務所としておりました。
そこにはいくつかの店舗が軒を連ねていて、それぞれの看板が店先の外壁に取り付けてあった中、一番目立つところに大きく「ビル清掃 毎日興業」という看板を付けて、他の店舗さんからお叱りを受けたというエピソードもあったようです。また、大宮市に入る街道沿いのいたるところに「美しさを追求する ビル清掃 毎日興業」という、決して上手とは言えない青い手書き看板(通称「ヘタ看板」)を設置していたようです。今でこそ埼玉県では「毎日興業」のことを知っていただいている方も増えてきてはおりますが、当時は全くもって誰も知らない会社であり、そんな中、少しでも会社を大きく見せ、お客様の信頼をもらい安心してもらいたいという必死な姿勢が、このようなエピソードからも感じとることができます。
また、創業社長は引き連れてきた3名の従業員がいたからこそ、とにかく必死になって営業したとも言っておりました。自分のためではなく、従業員のため、お客様に喜ばれるためといった利他の心をもって懸命に努力したからこそ、創業期の窮地を乗り越えることができたのだと思います。

50年たった「今」も変わらない創業社長からの大切な教えは、誰かのためにという利他の精神で必死になって仕事に打ち込み続けることです。
弊社の経営基本方針として掲げております、「行動指針三原則」の三つ目にある「知恵と努力で利益を産出する」の“知恵”には、「決意して退路を断ったときの必死さ、崖っぷちを歩くような精神を持つことで知恵が働くこと」を創業時のエピソードから感じられます。必死になって仕事に打ち込む姿勢、これこそが毎日興業スタイルと自負しております。これからも、皆様のお力になれますよう、職員一同、一生懸命に仕事をして参ります。