お客様から言われたことは、全てイエス アイ キャン!「ハイ」できますとうけさせていただきました。お客様は毎日興業を育てるために、これを遣りなさい・あれを遣りなさいと応援してくれました。 またこれを遣らせてくださいと経験のない仕事でも、背伸びをして次々にお願いして仕事をいただきました。怖いもの知らずというよりも食っていくためには何が何でも遣るしかない。

そんな『危機感』と、
世の中で不可能なことは無い『必ずできる』という信念と情熱、
そしてチャンスを与えてくれたお客様への『感謝の思い』
この3つの精神とたくさんの人の知恵と力を借りて、経験のない仕事もこなしてきました。

お客様はできない人には仕事はくれない。背伸びをして仕事をするから知恵も技術もビジネスマンとしての器も大きくなれた。
まさにお客様に育てられた毎日興業です。

2016年11月2日 社長講話より

1973 ~ 1976 創業期

1973 ~ 1976 創業期

1973

創業者・田部井功がビルの清掃会社として埼玉県大宮市(現:さいたま市)に設立

お客様とのご縁を末永く大切にする仕事がしたい

当時、24歳で不動産会社に勤めていた田部井は「売って終わり」ではなく「お客様とのご縁を末永く大切にする仕事」がしたいと常々考えていました。そんな時に事務所にきていた清掃員をみて「こんな仕事もあるのか!」と気付き、自ら事業を興すことを決意。当初は自分1人で事業を始める予定でしたが、上司より当時営業成績の悪かった3名の社員を連れていくことを退職の交換条件として提示されたため、創業当初より3名養うこととなりました。

前途多難なスタート

1974

事業パートナーとして男澤八重を迎える

必死の創業期

創業より1年が経過した頃、かねてより事業の相談に乗ってもらっていた前職の上司である男澤八重を事業パートナーに迎え、共に歩み始めました。当時は、人件費もままならずとにかく安く相場の半値以下でひたすらワックス清掃を行っていました。清掃の合間には手書きで看板を書き、街中に貼り出したり、名刺を配り歩いたりなどの営業活動も行いました。
清掃作業を行うときはストップウォッチを片手に、いかに品質を保ちながらスピーディーにこなすかを考えて作業を行っていました。
また、今ではおなじみのタンク付ポリッシャーも当時はなく、自らそれを考案して自家製タンク付ポリッシャーで清掃作業を行ったりもしていました。
日々、仲間たちと試行錯誤を繰り返しながら汗だくになって動けなくなるほど働いた必死の創業期でした。

必死の創業期

武蔵一宮氷川神社結婚式場「呉竹荘」の受注

氷川様から頂いた幸運

日々の営業活動の中で、武蔵一宮氷川神社(以降:氷川様)の結婚式場である「呉竹荘」を受注したことにより、流れが大きく変わっていきました。
氷川様という大宮の街の氏神様と仕事をすることによって周囲から大きな信頼を得ることができたのです。その後の営業活動では必ず氷川様とお取引をしていることをPRしていると、氷川様には「本当に毎日興業という会社と取引しているのか?」という確認の電話が毎日のようにかかってきたそうです。氷川様ではその度に、「毎日興業は若くて真面目な会社ですよ」と応援してくださり、そのおかげでたくさんのお客様から信頼を得てお仕事をいただくことができました。その当時、お答えくださっていたのはなんと若かりし頃の宮司・東角井晴臣様だったそうです。

氷川様から頂いた幸運

1977 ~ 1994 成長期

1977 ~ 1994 成長期

1977

現在のさいたま新都心駅東口駅前の旧中山道沿いに本社ビルを建設

テナントを決めてからビル建設?!

やっとの思いで自社ビル建設のための小さな土地を購入しましたが、肝心な建物を建てるお金が足りない事態になってしまいました。そこで、「Mビルテナント募集」の立看板をたて、テナントを募集しその入居者からの保証金を元手にビルの建設を行うことにしました。
入居者も集まりなんとかビルを建てることができましたが、当初はテナントに大半の部分を貸してしまっていたため、本社ビルでしたが使用できるスペースはごくわずか、駐車場2台分ほどであったといいます。

テナントを決めてからビル建設?!

1980

管理センター開設。公共料金請求代行始める

業界初のオフコン導入

お客様より「床清掃だけではなく、日常清掃や空調機器等の設備管理や公共料金の請求代行もお願いしたい」という要望を受け、持ち前の「イエス アイ キャン」の精神で取り組むことで毎日興業は仕事の幅を広げていきました。
1980年には機械警備業界へ参入し、24時間体制の管理センターの開設をするとともにBM業界で初めて東芝のオフィスコンピューターを導入。オフコンの導入により請求書を漢字で発行できるようになり、お客様には大変喜ばれました。しかし、大幅な設備投資による支出に他社との価格競争が重なりなかなか利益が上がらず、資金繰りは厳しいものとなりました。

業界初のオフコン導入

1984

ホテル管理(マロウドイン大宮)を開始

1987

大宮スカイビル設備管理業務開始

「セスナ機の運転手がジャンボ機を運転することができますか?」

昭和50年代後半から始まった大宮駅西口の大規模開発の中、当時建設中であった大宮スカイビル(そごう大宮店)にも田部井は営業へ伺いました。大宮スカイビルのような大きな建物を小さな会社が管理することができるのかとセスナ機のパイロットとジャンボ機に例えて厳しいご意見もいただいたそうです。しかし、そこで田部井は「ジャンボ機は自動操縦ですから」と上手く切り返し、逆に自分たちならどのようなサービスを提供することができるかをアピールしたそうです。
さらに多くの地権者の方々から強い後押しを受けたこともあり、大宮スカイビルとのご契約をいただくことができました。
そして、現在も皆さまと協力し、建物の安心・安全を守っております。

「セスナ機の運転手がジャンボ機を運転することができますか?」

1990

浅間町本社ビル(現:浅間町オフィス)竣工

地域のために

国鉄大宮操車場跡地の有効利用として土地区画整理事業がはじまり、本社ビルがあったエリアも再開発地区となり建物を移転することとなりました。(現:さいたま新都心)
移転先に選んだ大宮市浅間町エリアは住宅が多いエリアだったため、本社ビルの移転には地域の皆さまにご理解をいただくことが重要でした。
日頃から事務所周辺道路の清掃活動(クリーンタウン活動)を行い地域美化に努める、交通事故が多い近隣道路への信号設置に向けた活動に尽力する等地域のための活動を行い続けることによって、徐々に皆様からの信頼をいただけるようになり、現在まで周辺住民の皆さまと良好な関係を築いています。

地域のために

1995 ~ 2005 転換期

1995 ~ 2005 転換期

1995

有限会社ビルテクノマイニチ設立

毎日興業より現業部門として日常清掃、設備点検業務を独立させる

有限会社ビルテクノマイニチ設立

1997

株式会社アクセル設立

空調保守点検業務・機械警備工事業務を独立させる

有限会社パル設立

定期清掃業務・特別清掃業務を独立させる

2000

毎日興業一級建築士事務所設立

大規模改修工事など建設業許可が必要な業務への業務拡大

さいたまスーパーアリーナ・けやきひろば施設管理業務開始

2003

株式会社ビルヒット設立

毎日興業より電気保安業務を独立


大宮駅周辺の開発の波に乗り、管理物件も約1,000棟と業績は急成長していたものの人材の育成が追い付かず、組織は次第に肥大化していった。それとともにクレーム数も増加したため、経営体質改善運動や品質強化の運動を始めた。

経営基本理念・経営基本方針・行動指針三原則の誕生

これまで、「責任・実行・努力」という社是と3つのスローガンをもとに行動をしていましたが、「会社を革新していくためにはしっかりとした理念が必要である」と考え、各部署から選抜メンバーを集め、「経営体質改善委員会」を発足。1998年に今の経営基本理念、経営基本方針、行動指針三原則を制定しました。社員の声を集めて作ったため、皆で同じ方向を目指して進むための良い指針ができあがりました。

経営基本理念・経営基本方針・行動指針三原則の誕生

試行錯誤をする中で、当時係長(のちの専務)である常岡に相談をし、株式会社ビルテクノマイニチを現業部門として構築し、徹底的なクレーム対応をはじめました。常岡を筆頭にパート社員を含め8名のスタッフからはじまり、2年間にわたりビルテクノマイニチで誠心誠意改善を尽くし、切れかけていたお客様との信頼回復に努めました。

経営基本理念・経営基本方針・行動指針三原則の誕生

すべてはお客様のために

常に「すべてはお客様の笑顔のために」と行動していた常岡。後にお客様より『うちには「常岡スタンダード」という言葉があるけど、これは自然と出てきたもの。常岡専務の基準にしてほしいということ』という言葉をいただくほど。お客様にどうすれば喜んでいただけるのか、常にお客様の目線になって考え行動する。それが創業者・田部井より学んだ常岡の仕事のやり方でした。

すべてはお客様のために

2006 ~ 2016 拡大期

2006 ~ 2016 拡大期

2006

指定管理事業開始

地域社会に貢献する

自治体の施設を民間企業へ管理運営を委託する指定管理事業が始まり、この事業が「地域社会に貢献する」という会社の理念と合致するためこの事業への参入を即座に決定しました。コンペの結果、さいたま市産業文化センター、大宮武道館、久喜市総合体育館の管理運営を委託されることになりました。久喜市総合体育館についてはその後2016年にネーミングライツを獲得し「毎日興業アリーナ久喜」と命名されました。

地域社会に貢献する

大宮アルディージャ手話応援デー開始

第2回の開催は…

当時まだできたばかりのクラブ後援会副理事をしていた田部井は何かクラブの活性化につながることはできないかと考えていたところ「手話応援」というアイデアを知人よりもらい、そのアイデアに感銘を受けすぐに実行をしました。しかし、クラブやサポーターからの了解が得られないまま勢いで実施してしまったため、翌年より開催をすることができなくなってしまいました。しかし、2010年にクラブより毎日興業へプレゼンツマッチの提案があったことを機に「会社の名前は要らないが、手話応援デーとしてであれば協力したい」と申し入れ、晴れて手話応援を復活することができたのです。それから、毎年開催し、現在では2,000名近くの方が参加をしてくれています。

第2回の開催は…

2007

東京オフィス開設

2011

東日本大震災発生

緊急時こそ「お客様のために」

2011年3月11日14時46分、宮城県牡鹿半島の東南東沖130㎞を震源とするマグニチュード9.0、最大震度7を記録した東日本大震災が発生しました。さいたま市内でも震度5強を記録し、市中は大混乱、ライフラインにも大きな影響が発生しました。電気も通らない中、当社管理センターのある桜木町オフィスでは3台の自家発電機を稼働させ、電源を確保しお客様への対応にあたりました。
周囲のビルが真っ暗な中、桜木町オフィスだけは灯りを絶やすことなくお客様の建物を守るために職員一丸となって対応しました。その結果、震災から3日間で855件の緊急入電、設備・警備異常信号受信への対応を行うことができました。

緊急時こそ「お客様のために」

2015

パル東京設立

2016

横浜オフィス開設

2017 ~ 変革期

2017 ~ 変革期

2017

代表取締役交代

次の世代にバトンをつなぐために

男澤(当時:常務取締役)は「田部井会長が掲げた「建物100年、毎日興業も100年」と毎日興業を100年企業にしていく礎を築いていくこと。」を自らの役割と考え、「Always better(いつも、より良く)」というプレッジを掲げ、社長に就任しました。経営品質の考え方を基礎として、毎日興業を次の時代に繋ぐため尽力しました。

次の世代にバトンをつなぐために

パル横浜設立

12月13日 創業者・田部井功逝去

大宮の街にとっての大きな損失

職員・社員・お客様から愛され、毎日興業を一代で築き上げていった田部井功が逝去しました。お別れの会では埼玉県知事、さいたま市長をはじめ多くの方々が最期のお別れに足を運んでくださいました。
訃報を聞いた方からは「田部井さんが亡くなられたことは大宮の街にとって大きな損失だ」という声も聞こえてきました。大宮の街のために沢山尽力してきたからこそ、周囲の方からそのようなお声をいただくことができたのだと思います。そして、この田部井の人柄こそが毎日興業の社風となっているのです。

大宮の街にとっての大きな損失

2019

代表取締役交代

新たな世代へ

男澤が会長となり、三代目社長に田部井功の長男である田部井良が37歳の若さで就任しました。田部井功の意志を引き継ぐと共に若く新しい考えを取り入れ、毎日興業の新たな時代を切り拓き始めました。

新たな世代へ

5月13日 専務・常岡俊子逝去

突然の逝去

創業者である田部井功を支え、毎日興業を愛し、現場の最前線で働く社員を誰よりも大切に思い、従業員へ数多くの愛情あふれる叱咤激励を与えてくれた常岡専務が急逝しました。突然の出来事に、社内外を問わず大きな衝撃が走りました。

突然の逝去

2020

桜木町サテライトオフィス開設・管理センター移転

SINセンターの誕生

桜木町オフィスのほど近くに新たに桜木町サテライトオフィスを開設しました。1階には管理センター、2階にはオフィスを構え最新の顔認証や指紋認証システムを社内に導入。また、管理センターには新たな管制システム、72時間使用できるガス式の自家発電機、耐火鍵庫などBCP対策も視野に入れた新システムを導入し、名称も新たに「SINセンター」と変更しました。再開発が行われる大宮駅西口の街を守る新たな拠点の誕生です。

SINセンターの誕生
50周年、そして未来へ
代表取締役 田部井 良

今、時代は大きな転換点を迎えています。
国際連合に加盟する国の全会一致で制定され2030年までに実現すべき、持続可能な開発目標である「SDGs」、そして日本では脱炭素社会の実現が2050年までの目標として掲げられました。そして、2020年初頭より全世界で広がった新型コロナウイルス感染症により、私たちの価値観や考え方、働き方、生活スタイルが大きく一変しました。

創業期から時代の変化、お客様のご要望を素直に受け止め、感謝し、寝食を忘れて事業活動に没頭してこられた田部井創業社長の精神、これは弊社にとってどんな時代が来ようが忘れてはならない、変えてはならない最も大切にするべき価値観であり、心がけとなります。

これからの時代においても、私たちは建物の安心・安全・快適さへのあくなき追求と、そしてまち全体を見守る存在となり、「未来永劫も住み続けられるまちづくりの実現」にむけて、弊社及び関連会社のみんなで「毎日毎日、一歩一歩」邁進し、積み重ねて参ります。

過去が咲いている今、今が咲いている輝かしい未来に向けて 過去が咲いている今、今が咲いている輝かしい未来に向けて 代表取締役 田部井 良