弊社田部井功会長が12月11日永眠されました。

ここに生前のご厚誼に深謝し、心よりご冥福をお祈りいたします。

故人の遺志により、葬儀は故郷の前橋で親族のみで執り行わせていただきました。

なお、後日「お別れの会」を執り行う予定で、日時、会場の詳細は追ってご通知いたします。

 

田部井会長は、昭和48年2月、大宮南小学校前のマーケットの一室で清掃業の毎日興業株式会社を設立しました。

24歳の時です。

毎日興業とは「毎日お仕事がいただけるように」という意味を込めて名づけたものです。

カタカナの名前が流行った時も、頑として名前を変えようとしませんでした。

ビル管理はお掃除だけでなく設備の管理も必要だと考え、設備のメンテナンス業務を始めました。

そして、昭和55年に大宮駅西口に24時間365日ビルの設備を監視そして機械警備を行う管理センターを設けました。

これは、大宮に新幹線の駅が出来て、ビルがたくさん建つようになりましたが、管理人を常駐させるには経費がかかりすぎるだろうと、管理センターでいっぺんにみてさし上げようと考えつくられたものです。

これは、当時としてはユニークな挑戦で、大手のエレベーター会社が視察に来られたというエピソードもあります。

ビルの公共料金の請求代行も昭和55年から始めています。

オフィスコンピューターを入れて、顧客管理と一緒に行いました。

当時はまだそのようなシステムがありませんから自社開発です。

コンピューター開発会社がビデオを作り、全国に発信しました。

平成7年にパソコンを本社スタッフ一人1台、しかもLANを築きポータルサイト「みんなの窓」をつくりました。

ウィンドウズ95の時代、「ネット」という言葉のない時代です。

社内でパソコン教室を行い、6ヶ月で全員が使えるようになりました。

平成14年に文書の電子化を行いました。

ビルメンテナンス業はお取引先から文書で報告が来ます。

それが膨大なものになり、浅間町オフィスでしかすべてを見ることが出来ないという問題がありました。

そこで、当時発売されたばかりのドキュワークスに着目し、ネットで見ることが出来る環境を作りました。

今では当たり前のこと、それをどこよりも早く行った。これが田部井会長の閃きと行動力のすごさでした。

 

数年前、毎日興業を評して、県庁OBのある方がこうおっしゃられました。

田部井さんは、創業社長によくある「俺が、俺が」がないから、毎日興業の人たちは生き生きと仕事をして、会社がこんなに大きくなったのだのと思う、と。

田部井会長の人柄、これが毎日興業成長の源泉だということです。

一人ひとりの力を思い切り出すことが出来る環境をつくる。

これが、毎日興業の目指す姿のひとつ「家族からも喜ばれる職員・社員を大切にする会社」です。

これは、社長が絶えず。社員に気を遣っていくということ、社長が大きくなり過ぎないことだと思います。

田部井会長はこれを実践して来ました。

私も、田部井会長を見習い、大きくなりすぎないよう、絶えず社員の声に耳を傾けて行きたいと思います。